人形を作り続けて60年
竹中幸甫氏:
ここ竹中雛人形製作所は約100年間、江戸節句人形を生業にしており、私はその三代目にあたります。徳川幕府最後の陸軍奉行だった曾祖父、重固の娘、竹中つるがこの人形作りを始めました。その技術をつるの息子の幸輔が受け継ぎ、さらに幸輔の子である私が継承しています。人形作りを始めて約60年になります。一時は大勢のスタッフを抱えていましたが、今は一家で作っています。
――奥様も鶴屋半兵衛として、携わっていらっしゃいます。
竹中幸甫氏:
古典おさな人形と言って、木目込みの人形を作っています。竹中つるがされていた作り方を参考にしています。人形作りに携わるようになったのは私と結婚してからですが、もう50年になりますね。
厳しい父の技術を“盗んで”覚える
竹中幸甫氏:
この製作所は、戦後すぐの昭和22年、10歳くらいの時に建てられました。私は日暮里で生まれなのですが、滝野川(東京都北区)で焼き出されてしまい、群馬の四万温泉へ疎開していたのです。私は細かい作業が得意だったため、小さいころから手伝わされていました。
明治大学へ進みましたが、お節句の前、11月からの繁忙期になると、大学には行かず、人形作りの仕上げなどをしていました。家業を継ぐという約束で、大学へ入れてもらいましたので、大学の4年間は猶予期間。父親の影響で高校の時くらいから、カメラに興味を持ちまして。大学ではずっと写真部に所属していました。父親は他にも、釣りや狩猟などが趣味で、私もよく連れて行かれました。
ただ、仕事の面では厳しい父親で技術に関して、父親から直接手ほどきをして教えてもらうようなことはありませんでした。父親の技術を“盗む”ことで、学んでいましたね。作業に入る前の下ごしらえが上手くいっていない時など、父親がそれを全てバラバラにして、「もう一度やり直し」というような仕込まれ方をされました。
この仕事を続けて60年が経ちますが、今でも父親の厳しい目に見られているようで、いまだに出来上がりに満足することは少ないですね。