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高い技術力と愛する想い 匠の心が結集した“紀州へら竿”づくり

今回のお相手

紀州へら竿師の川崎幹夫さん。明治時代に確立された紀州へら竿づくりの技術は、代々親方から弟子へと受け継がれてきましたが、川崎さんの手がける「東峰」、「玉成」の銘が入った作品には、高い技術力だけでなく、竿を愛する想いが込められていました。紀州へら竿の世界を広げるべく日々挑戦される川崎さんに、歩みを辿りながら、竿づくりにかける想いを伺ってきました。

作品一覧

玉成 紀州へら竿

紀州へら竿師の挑戦



――ちょうど高野竹の切り出しをされていたということで。



川崎幹生氏:
今、10月から12月の3か月が、まさに高野竹を切る時期なのです。昔はたくさんいた切子さんも高齢になって人数も減ってきていますし、自然環境が変わったのか、使える良い原竹も枯れてきていて、材料自体の確保が年々困難になってきているのを実感します。昨日は何百キロと車で走って、山を分け入り1日かけてやっと10本ぐらいでした。良い竹を見つけて「もう少し育てておこう」と思っても、次にきた時はなかったりする。これはもう仕方がないし、縁ですね。

紀州へら竿は、真竹、高野竹(スズ竹)、矢竹から構成されているのですが、二番目の核となる高野竹は、切った段階で8割方はその竿の調子が分かってしまうくらい、紀州へら竿の命でもあります。自然が相手のものですから、素材によって性質も微妙に変わってきます。ですから質の良い原竹を慎重に選んで採取してきます。その貴重な素材を使って、最大限何ができるか、お客さんの要望に応えられるかが、竿師の腕の見せどころです。

――素材の微妙な違いを見極め、そこに技術が加わって一本の竿が出来る。



川崎幹生氏:
技術だけでなく込められた想いが、世代を超えた交流を生んでくれています。竿師であった父清照の作品を愛好していただいた方から、アドバイスをいただいたりと、昔の交流が今に生きているのです。私が今、竿師をしているのも父の影響からでした。


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