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可能性を追求し 新たな挑戦を重ねる

今回のお相手

鋳造が盛んな山形市銅町において、江戸時代後期より鋳物業を営む清光堂工芸社。初代から数えて十代目に当たる佐藤琢実さん。プロダクトデザイナー黒川雅之氏デザインの鉄器シリーズ IRONY (アイロニー)の製作や、銀象眼を使った手法など、現代的デザインと伝統的工芸を融合させた挑戦は従来の枠を越え、世界に広がっています。無限の可能性を秘めた山形鋳物に携わる、佐藤さんの想いを伺ってきました。

作品一覧

ハ角形尾垂  銀象嵌入

砂鉄 平丸霰  銀象嵌入

双龍釜 本銀摘み付

鋳物のまちで受け継ぐ 確かな技術 



――このあたり(山形市銅町)は、昔から鋳物が盛んな場所だったそうですね。



佐藤琢実氏:
昔は、うち(清光堂工芸社)だけでなく、鋳物を扱うたくさんの工場や関連の会社が、ここ銅町にたくさんありました。今は手作りでやっているところが少し残っているばかりで、大きな会社は工業団地の方に移ってしまいました。

清光堂工芸社は江戸時代後期に、初代喜六(きろく)が、ここ銅町で鋳物業を始めたことに端を発し、羽広鉄瓶を得意とした六代目徳太郎が「清光堂」を屋号としました。最初は鍋などを作っていたそうですが、七代目善太郎くらいから、茶の湯釜や鉄瓶を作るようになり、高い評価を受けました。そして戦後、祖父である八代目清光が、茶の湯釜専門工房としての現在の清光堂の基礎を築きあげ、九代目である父、そして私と続いています。茶の湯釜と鉄瓶の専門工房として製作活動を行っております。

高品質を維持するため、すべて手仕事、少人数でおこなっています。作業は平日の朝8時半~5時。この仕事は汚れるので、最後にひと風呂浴びて一日が終了です。ひところよりは落ち着きましたが、それでも忙しくて、今は海外、特に中国からのお客さんの注文も多くなっています。



古くからのお茶の文化を持つ中国では、お茶に関する展示会も各地で開催されていて、その規模もかなり大きなものになっています。4年ぐらい前に、私も茶器部門に参加して、その目で見てきました。急須や茶碗は中国でもたくさん作られていましたが、湯を沸かす薬缶などはステンレス製のものが大半でした。上海万博で鉄瓶が紹介され、そこから北京や広州など他の大都市でも人気が出ていったようです。

“外側”から感じた 鋳物の魅力


佐藤琢実氏:
私は小さいころから家業である鋳物の現場を見ていましたが、「跡を継ごう」と思っていたわけではありませんでした。うちは男兄弟だったのですが、亡くなった祖父(八代目、佐藤清光)は、「どちらかが継いでくれれば良い」と言っていました。父はそういった話はあまりしませんでしたね。

高校卒業後、アメリカのロサンゼルスに留学しました。それまで海外は未経験でしたが、武者修行のつもりで期間も決めないまま現地へ向かいました。少し南に下ったサンディエゴの語学学校に通い、現地で友人もでき学びながら楽しく過ごしていました。

アメリカに渡ったことで、外側から冷静に日本の伝統文化に魅力を感じることができ、そこから家業に興味を持つようになりました。アメリカには1年いましたが、地元山形に東北芸術工科大学が開学したのを機に帰国して、1年間勉強をしたのち美術学部彫刻科へ進みました。

仕事に活かせると思い進んだ彫刻科でしたが、色々な素材を使って制作に取り組んだのは、今に活かされる良い経験でした。またその頃から、茶の湯釜をもっと知るべく、その舞台であるお茶会のお手伝いをするようになりました。

大学卒業後は、父のもとで基礎から学びはじめました。祖父の代から親交があり、父も師事した釜師の根来茂昌先生からも、可能性とその魅力を教わりました。先生は釜づくりを一貫して、自らの手で、伝統的な製法で作られるお方で、山形にいらっしゃった時や、住まわれていた横浜を訪ねた時に教えてもらっていました。そうして覚えた技術を製作に活かし、試行錯誤を重ねながら徐々に自分のものづくりの感覚を掴み、枠を広げてきました。



終わりのない学び 無限の喜び



――作品づくりも、“枠”を超えて。



佐藤琢実氏:
デザインに関しては、昔からの型もありますので、その模様を違うものにしてみようかなどと考えていきます。デザインだけでなく、味わいも鉄瓶の魅力の一つだと思います。高い金属ほど、ワインでいうと“ひらく”という作用があるそうです。鉄瓶の場合は、お湯に鉄分が入るので、少し角がとれたようなまろやかな味わいになります。そうした材料の特性を生かした制作もやっていきたいですね。

――こちらに、銀象嵌の美しい鉄瓶が並んでいます。



佐藤琢実氏:
この銀象嵌の使う手法は、はもともと京都が主流で、山形の鋳物ではあまり一般的なものではありませんでした。うちにある銀象嵌の製品も最初は外注していましたが、その外注先が仕事をたたむことになり「自分でもやってみよう」と決心しました。難しい技術ですから、分からない部分は銀を専門に扱う知人に聞きながら、習得していきました。

しかし、何かが分かれば、また分からない世界への入り口にたった心境で、まだまだ学びの途中です。お茶会などで知り合う、同世代の道具職人さんたちに刺激を受けながら、日々技術を磨いています。

そうやって皆で高めあった技術がお客さんの満足に繋がった時、私の喜びになります。これからもそうした喜びを感じてもらえる作品を作り続け、アジアだけでなく、世界中の人たちに届けていきたいと思います。


(取材・文 沖中幸太郎)

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