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九谷焼の魅力をインパクトでより広く伝える

今回のお相手

従来の作品づくりだけでなく、伝統技術をベースにスニーカーやカブトムシ、つけ爪など、革新的な作品を数多く手がけ、九谷焼の多彩な魅力を伝える、九谷焼竹隆窯の北村和義さん。「インパクトで九谷焼の魅力を伝えたい」と語る北村さんがどのようにして、この世界に魅力を感じていったのか、なぜ新しい作品に挑戦し続けるのか。歩みとともに新たな作品を作り続ける想いを伺ってきました。

作品一覧

九谷焼 トンボ

九谷焼 蝶

九谷焼 カブトムシ

九谷焼 カマキリ

九谷焼 チョロQ

線描金盛花器・走るウサギ

伝統の産地から発信する革新の九谷焼



――九谷焼をベースに、さまざまな企業とコラボレーションをされています。



北村和義氏:
オーソドックスな九谷焼から派生して“リーガル・九谷焼スニーカー”や“タカラトミー・九谷焼チョロQ”などさまざまな企業とコラボレーションして作品づくりをしています。昨年は、エヴァンゲリオン展に“九谷焼エヴァンゲリオン”を展示しました。当初、展覧会からのご依頼はお皿とマグカップだけでしたが、「ただ仕事をこなすだけでは面白くないだろう」と、こちらから「エヴァンゲリオン初号機の頭部を、九谷焼で作りたい」とお願いして実現しました。ピクサー社に“九谷焼トイストーリー”の作品を送ったこともあります。

地元のツエーゲン金沢というサッカーチームと共に、九谷焼でサッカーボールを作ったり、衣料品メーカーやジュエリー会社とのコラボレーション作品も手がけていますが、これらはすべて、本来の九谷焼の魅力を広げたいという想いから始まりました。



――そうして生まれた現代的な作品が、歴史ある建物に置かれています。



北村和義氏:
この竹隆窯工房の建物は1640年に建てられたもので、富山県から移築したものです。柱もふすまも当時のままになっています。古すぎて積雪に耐えられないので、家の中に骨組みを追加しているんですよ。お茶室は小松城から移築したもので、このお茶室を囲むために蔵を新築しました。

ここ高堂町(石川県小松市)は、昔から九谷焼の生産が盛んなところで、数代目という方も少なくないのですが、うちは父が初代で私が二代目です。父は九谷焼を縄で茶碗を巻くというアルバイトをしていたのですが、そのとき目にした茶碗が大変綺麗で、「自分で作ってみたい」と思ったのが九谷焼をはじめたきっかけだったそうです。まったくの未経験からの出発だったので、はじめの頃は仕事もなく、私が小さい頃は本当に貧しくて、母が保育士として働き、父は家の片隅で黙々と皿に絵を描いているという生活でした。

今、私と父は父子というよりも、九谷焼作家同士といった関係になっていますね。父から何かを教わったことは一度もなく、作品について父が聞いてくることも、また私が父に作品を見せることもありません。父から九谷焼の仕事をしろと勧められたこともなく、私は高校生になるまで九谷焼の「く」の字も知りませんでした。

九谷焼との出会い、苦悩、支えてくれた人々



北村和義氏:
私は小さい頃から絵を描くのが好きで、実は漫画家になりたいと思っていたんです(笑)。ただ、だんだんと現実を考え始めて……高校生になってはじめて「そういえばうちは九谷焼をしているな」と意識しました。ただすぐ九谷焼とはならずに(何も知りませんでしたから)、美術系全般の仕事を志すようになり、高校1年生の終わり頃からデッサン教室に通うようになりました。そうして卒業後は、地元の美術系短大の陶磁器コースに進んだのですが、そこで初めて土に触れたのが九谷焼との最初の出会いでした。

――はじめての九谷焼、いかがでしたか。



北村和義氏:
はじめて自分で焼いたものが窯から出た時は、「自分にも九谷焼が作れたんだ!」と、とても嬉しかったのを覚えています。その時の感動は、今でも忘れられません。そこから一気にのめり込み、短大卒業後は地元にある九谷焼技術研修所に進みました。

九谷焼技術研修所での3年間は、とにかく作品づくりを学び実践できる環境に楽しくて仕方ありませんでした。毎日、学校が閉まるギリギリまで残って作品づくりを学んでいました。私の家には道具も窯もあったので、学んだことをすぐに実践に移すことが出来たことも、のめり込んでいく大きな要因だったと思います。

卒業後、九谷焼作家としての生活が始まりました。当たり前ですが、学生に毛の生えたようなレベルでしたから、全く売れませんでした(笑)。3年間ほど売れない状況が続き、わずかな貯金も底をつき、これからどうやって生きていくか悩みましたね。

――作品を作るのは好きで楽しいけれども……。



北村和義氏:
……売れなかったんです。甘くないなと感じていました。たまに売れることもありましたが、お客さんが応援の気持ちを込めて買って頂いていることもわかっていたので、なんとも言えない気持ちでしたね。自分の作品に自信も持てず、いつも弱気でした。それでも、なんとか周りの協力もあって続けて、ようやく手応えを掴み始めた時には、すでに作家を名乗って10年が経過していました。

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