飽くなき挑戦を支えたコンプレックス
久野悟氏:
不安はむしろ、みずから作品のデザインに携わるようになってからです。その時から常に、産地外出身者としての不安感と言いますか、ある種のコンプレックスのようなものを抱えていたように思います。「これでいいのだろうか」人一倍よぎる不安な気持ち。しかしそれが、私を「もっと新しいものづくりをしなければ」と駆り立てました。
新しい取り組みの元に生み出された製品を、多くの人に届けるためには、新しい流通にのせる必要もありました。流通の基本には問屋さんがいて、卸業者がいます。問屋さんは、流通の途中で商品になるかどうかを見極めてふるいにかけるわけですが、新しい発想でつくられた製品は、なかなか問屋さんの理解を得ることは難しく、ラインナップにこぼれるものがたくさんありました。使い手が目にする機会を失えば、どんなにいいものを作っても、届きません。
――とにかく知ってもらわなければいけない。
久野悟氏:
「どのようにすれば、我々の新しい有田焼を、ひとりでも多くのお客さまに見てもらえるのか」。悩んだ結果、踏み切ったのが通信販売でした。始めた当初はこちらと同様、通販業界でも今までになかった取り組みで、さまざまな取り組みを一緒になって応援してくれました。
そこで売り出したのが「有田焼タジン鍋」。多くの人の目に触れたこの製品は、評判が評判を呼び、当初の予定数を大幅に超えるものとなりました。以来今でも好評を頂いております。こうして新たなものづくりは、少しずつ世間に認知され、定番の製品となっていきました。
産地への感謝と恩返し
使い手に喜ばれる有田焼を届ける
久野悟氏:
私は普段何気なく見る景色の中で、「有田焼なら、これをどういう風に活用できるか」をいつも考えています。実現が難しいものほど、チャレンジしがいがあります。上手く時代の背景とマッチするものもあれば、早すぎる場合もある。涌いた発想はすべて具現化するのがモットーですが、失敗もたくさんありました。売れると踏んで作ったものの中にも、鳴かず飛ばずのものもありました。
そうした中で励みになるのは、お使い頂く方々から届く声です。頂いたお便りには、生活に溶け込んだ製品の日常への想いが込められており、これは私たちの、日常の製品を手がけているものならではの喜びです。
また、みずからの発想を具現化できる土俵を与えてくれた、有田という産地に、快く受け入れてくださった職人さん達の存在なしには、私のものづくりは生まれませんでした。有田焼の仕事を通じて知り合った職人さんたちは皆、私が新しいことを始める時に腹を割って話せる相談相手でもあり、一緒に未来に向かって進む仲間でもあります。
――仲間と一緒に、どんな未来を走っていかれるのでしょう。
久野悟氏:
仲間の数だけ、取り組みの数も広がります。すでに「有田浪漫グラス」として、その試みは具現化されていますが、ガラス製と磁器製のコラボレーションもそのひとつです。陶磁器の釉薬は基本的にガラス質ですから、陶磁器とはさして異素材というわけではなく、兄弟みたいなものです。そうした異素材と思われてきた製品との組み合わせでできること、今までガラス製品が主だったもの、例えば香水瓶など、有田焼の技術を活かせる場所は、まだまだたくさんあります。
400年という長い歴史と伝統を築き上げてきた有田焼。40年前、その仲間に加えていただき、今もこうしてこの地で一緒に有田焼に携わる者のひとりとして、有田の伝統の技術を大切にしながら、次代に続いていく未来のため、これからも「発想を具現化する」ものづくりに挑戦し続けたいと思います。
(取材・文 沖中幸太郎)