なんでも「楽しむ」ことが上達の近道
吉田功氏:
この世界に入るようになったのは、ちょうど父も年齢から仕事を続けるのが難しくなった頃ですね。自宅から会社に通っていましたから、朝、出勤するたびに職人さんたちの働く姿を横目に、考えていたんです。「旅行も、ものづくりも笑顔になれる仕事やな」と。ウチの奥さんはサラリーマンと結婚したつもりだから反対されるかなと思ったんですけど、「そんな気がしていました」とあっさり。その代わり旅行に連れて行くことが条件でしたが(笑)。
――笑。職人の仕事、最初はどんな感じだったんでしょう。
吉田功氏:
小さい頃から、父の仕事の手伝いはしていましたので、まったく分からないという訳ではなかったんです。ですが、到底本職の域には達していないもので、最初のころに作ったものは、今から見返してみれば、そりゃあひどいもんでした。丸い円の板ひとつ、ちゃんとできません。教訓もかねて、その頃につくった品物は、今も取ってありますよ。
でもね、もしその時そこで辞めてしまえばおしまいでしたし、何でもやらなければ始まりません。うちは、機械を揃えていましたから、他の木工所さんから加工の仕事もたくさんあったので、仕事を重ねながら、職人さんたちの仕事を見ながら真似をして、そうやって少しずつ仕事を覚えさせてもらいました。
そのうち、当初考えもしなかった新しい発見が次々とでてきました。「次はこうしたらええんやないか。こうしたらもっと面白いものができる」。そうやって楽しみながら仕事していましたね。あんまり、苦しいとか、そういう感じではなかったです。だから、長く続けられたのかも知れません。
――楽しんで仕事をする。
吉田功氏:
いきなり「好き」になれなくとも、なにかそこに「楽しみ」を見出せば、どんな仕事もそれなりに上達するものです。旅行会社時代も、休みは月に二日。帰りの電車(京阪のテレビカー)で野球のナイターが見られればラッキーなくらい、遅い時間まで仕事していましたが、何か楽しみを見つけようとしていましたね。さらに余談ですが、ウチの次男も会社勤めは合わないだろうと思っていましたが、いつの間にか20年近く勤めています。やっぱり、仕事も「心」がけ次第なんじゃないかなと思いますね。
「自分が貰って喜ばないものはつくらない」
終わりなき道を楽しむ
吉田功氏:
そういうわけで、私の仕事におけるこだわりとは、道具や材料ももちろんありますが、やはり一番は心。「自分が貰って嬉しくないものは創らない」。これに尽きます。そのためにも、自己満足ではなく、どうしたら喜んでもらえるか。
今、京指物に限らず、伝統工芸の世界は次代への担い手が不足しています。私が知っているだけでも、当代で終わりを迎えてしまうところが数軒あります。せっかくの技術が、知られないばかりに消えてしまうのは惜しいことです。ですから、伝統的な技術はもちろん、そこに新しいアイディアを取り入れながら、現代の人の目に触れられる、使い手も作り手も喜べるものづくりを、今も模索しています。
――今はどんな取り組みを。
吉田功氏:
実は今はまた、ちょっと難しい京指物づくりに挑戦している最中なんです。出来た時に見ていただきたいのですが、木と異素材を組み合わせた「今までにないものになるんちゃうかな」と思っています。ああでもない、こうでもない。悩むことが楽しいですね。
新しいアイディアが欲しいときは本を開きますし、分からないことがあれば、インターネットを開けば、さまざまな情報に触れられます。ウチのホームページも自分たちで四苦八苦しながら作りました。
私は今、76歳ですが、考えてみれば、「定年」をとうに過ぎて、まだこうして仕事できるのは大変ありがたいことだと思っています。これからも、変わらず「手に心」で、皆さんが喜ぶようなもの、そして自分も喜べる京指物を、作り続けていきたいと思います。
(取材・文 沖中幸太郎)