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世界を広げてくれた一本の釣り竿

今回のお相手

「覚悟はお客さんから磨かれていくもの」。そう話すのは、独自の「螺鈿蒔絵」の技法を駆使した和竿製作で知られる「旭信」の四代目、野本公敬さん。幼い頃から、家業を受け継ぐことが決まっていた野本さんは、いかにして竿づくりを自分のものづくりにしていったのか。一本の竿を通じて出会った人々から得た気づきとは。自然体で話す、野本さんの竿づくりに込めた想い、その源を辿ってきました。

作品一覧

総男竹 総螺鈿塗 小ぶな竿 30cm仕舞三節

矢竹製 たなご竿

矢竹製 たなご竿

初代の道楽から、日本有数の竿づくりへ
独自の世界を切り拓く「旭信」の歩み



野本公敬氏:
うちの家業である和竿づくり「旭信」は、私の曾祖父である野本由太郎が、明治の終わり頃に和竿師を目指して名乗りを上げたのが始まりです。始めた頃は、「怠け者の道楽」と周囲から言われたりもしたそうですが、時代を経て、代を重ねるごとに、おかげさまで、「旭信」の名とともに、天然の竹と本漆を材料に作り上げた竿は、全国に知られるようになりました。

――「道楽」が出発点。



野本公敬氏:
うちは江戸初期から代々、ここ桶川の郷士だったんです。士分ではあるけれども、普段は農業に従事している訳ですから、それ以外の、特に「釣り」なんて言うのは道楽だと、なまけもののすることだと、周りから言われていたのです(笑)。

ただ、戦前から戦中にかけて、石川県の漆塗りの職人や東京に住んでいた関東竿の職人さんたちがうちに集まるようになる頃には、道楽も、れっきとした仕事として認められるようになっていました。一時期、埼玉県だけで和竿職人は200人以上いたそうですが、うちだけでも住み込みで12人の職人さんがいました。戦後しばらくして昭和の中頃が、最盛期だったようです。昭和56年、三代目、正信の頃には、独自の「螺鈿塗り」手法で特許を取得し、黄綬褒章もいただきました。



「覚悟」はお客さんに磨かれる



野本公敬氏:
私が生まれたのは、そんな時代になる少し前。まだ初代が生きている頃でした。曾祖父・由太郎は、私が生まれて数年で亡くなるのですが、彼を含む家人からは、跡継ぎということで小さい頃から商談に同席させられ、頭を下げ、「練習」をさせられていました。今思えば、商売人としてのイロハを覚えさせるつもりだったんでしょうか。その頃は口下手だったし、ずいぶんと恥ずかしかったのを覚えています。

三代目である父、正信も、同じように私に跡を継がせようと、私が小さい頃からことあるごとに「勉強したらバカになる」とか「人間味がなくなる」と、ずいぶん滅茶苦茶なことを言っては、とにかく私に遊ぶことを推奨していました(笑)。

そのうち「親父の言う通りにしてちゃ、マズいんじゃないか」と思うようになり、夏休みも休日も返上して働き、もちろん家業も継ぐことを条件に、自ら進んで、大学進学を交渉していました。

そんな具合だったので、小さい頃から釣りには親しんでいて、お客さんや、家にいた職人さんと、しょっちゅう出かけていましたね。竿づくりを手がけるようになったのは、15歳くらいだったと思います。この時は「ちょっと、こっちに来て手伝って」という感じで、「今日からこの道に進むんだ」というような覚悟は、正直ありませんでした。

――覚悟のうえでの継承、ではなかった。



野本公敬氏:
家業を持つ家の跡取り、二世や三世なんていうのはみんなそんな感じだと思いますけどね。親たちを見て「儲かりそうだ」とか「かっこいい」とか「なんとなく」とか。継ぐ時点では、喜びも厳しさも何も知らない訳ですし。覚悟は、自分でするというより、それから仕事を重ねていくことで、お客さんから磨かれていくものだと思いますよ。

私が家業を継いだのは大学を卒業してすぐでしたが、竿制作一筋の父の代わりに、全国へと販路を拡げるのが、私の最初の仕事でした。その中で、たくさんのお客さんと接することで、覚悟は次第に磨かれていきました。

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