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伝統の中に新しい形を彫る

今回のお相手

日本一の印章の町、山梨県市川三郷町。ここで手彫りによる印章づくりに取り組む、甲州手彫印章伝統工芸士望月煌雅さん。「“ただひとつであること”こそ、印章の本質的な意義」と語る望月さんの、唯一無二の印章づくりに込める想いとは。

作品一覧

武田信玄

徳不孤

一陽来復

印章の里から届けるただひとつのハンコ



――ハンコ(印章)の里、市川三郷町にお邪魔しています。



望月煌雅氏:
今は合併して名前が変わりましたが、昔の人は六郷町という名前の方が馴染みがあるかもしれません。古くからハンコの里として知られ、町に住む多くの人がハンコづくりに関わってきました。道路のマンホールにも、ハンコのデザインがあしらわれているんですよ。町全体が工場という感じで栄えました。

私のところは、初代である祖父の時代、仲卸として甲州印章の世界に携わっていました。二代目の父は、外で印章づくりの修業をしてから家業を継いだので、仲卸と印章づくり、両方やっていました。そして私の代には、「煌雅」という甲州手彫印章のブランドを立ち上げ、ネット販売も始めました。

今は、1年のうち5~6週間、百貨店の催事や実演販売にでかけています。そこでは、直接お客様の声を聞き、印章(ハンコ)づくりに対する想いを伝えています。お客様の声で多いのは「もっと時間をかけてもいい。ゆっくり、丁寧にやってくれ」という要望です。質を求めているということに気がつきました。1本1本丁寧に仕上げています。印章というのは、本来、手彫りで唯一無二のもの。持ち主の大切な財産と権利を守ってくれる分身のようなものです。納得のいくものをお持ちになっていただきたいと思っています。

――代を重ねるごとに事業、販路を拡大されてきました。



望月煌雅氏:
ただ、私が家業を継ぐと決心したのは社会人になってから、偶然の出来事がきっかけでした。それまで家族から家業を継ぐようにいわれたことは、一度もなかったですし、自分でも最初から目指していた道ではなかったんです。

印章の魅力に誘われて



望月煌雅氏:
私が小学生の頃は、印章業界の景気が最も良い時期でした。社会科見学の授業では、印章づくりの作業場に行ったこともあります。地元が印章の町だということは知っていました。クラスの約半数の児童の家が、印章づくりにたずさわっていたので、将来の夢を聞かれた時、何も思いつかなくて「ハンコ屋になる」と書いていたのは私だけではなかったと思います。とはいえ、本当にハンコづくりを考えていた訳ではなく、その後の進路も地元の高校を卒業後、機械や理数系が得意だった私は、神奈川大学工学部経営工学科に進学して、ハンコとの縁は遠いものでした。

――どのようにして、印章の世界へ。



望月煌雅氏:
転機は大学在学中の父の死でした。父が残していた仕事を仕上げなければならず、以前、父と一緒に動かした装置をつかって初めて機械彫りの印章をつくったんです。大学卒業後、いったんは、ハンコとは関係のない会社に就職したのですが、印章づくりへの想いが消えず、家業を継ぐ決断をしました。それまで印章のことを何も知らなかった私は、基礎知識を勉強するため神奈川県印章職業訓練校へ入学、そこで2年間、土日は訓練校で勉強をして、卒業後は月1回の研究科に在籍して学びました。

訓練校で勉強しながら、月~金は学校から紹介されたゴム印をつくる印章店で働く。訓練校と働いていた印章店は同じ建物にありました。仕事の空き時間ができると訓練校へ戻り、研究科の生徒や先生の作品を見て刺激を受け、印章づくりの技術競技会にも興味を持つように。象牙や牛角といった天然素材を彫る技術を学んだ後、実家に戻り、月1回、訓練校の研究科に通いながら、印章を彫る技術を実践で学ぶ日々が始まったんです。


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