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江戸切子の世界に邁進する

今回のお相手

国の伝統工芸士である堀口徹さん。数々の賞を受賞する作品から、普段使いの手元に届く商品まで、様々な江戸切子づくりに携わっています。三代秀石として、日々何を考え、江戸切子に向き合っているのか。師匠から受け継いだものづくりへの情熱、想いを、新たに構えた“堀口切子”の工房で伺ってきました。

作品一覧

黒被万華様切立盃

籠目ニ菊繋文切立盃

タンブラー(よろけ縞)

そば猪口(よろけ縞)

秀石の名を継いで



堀口徹氏:
堀口硝子の歴史は、初代、堀口市雄が江戸切子技術伝承者の小林菊一郎に弟子入りしたのがはじまりです。その後、堀口硝子加工所が設立され、昭和36年に堀口市雄が初代「秀石」の号を名乗りました。現在の株式会社堀口硝子となったのは昭和48年のことです。昭和60年には、江戸切子が東京都伝統産業工芸品の認定を受け、その年、当時工場長であった須田富雄が二代目秀石を継承しました。私は、初代秀石の孫として生まれ、二代目秀石に師事し、平成20年に三代秀石の名を継いで「堀口切子」を設立し、現在に至っています。

今年(平成27年)かねてからの自分の工場を持ちたいという想いがようやく叶い、ここ江戸川の地に新しく工房を構えました。自分は相当の道具好きなので、必要なものはここにすべて揃っています。

――この羊のロゴは。



堀口徹氏:
初代である祖父が、昭和30年くらいに作ったものです。羊は紙を食べると言われていますが、紙をお金(紙幣)となぞらえた祖父の「これからのし上がってやるぞ」という勢いや想いを感じ、堀口切子のロゴとして踏襲しました。しかしながらこの羊、自分のところのお金も食べるからなかなか大変です。

あこがれだった職人の世界



堀口徹氏:
小学1年のとき初代秀石である祖父が亡くなり、家業の江戸切子を継ぐことを考えたのが、この世界に入るきっかけでした。もともと手先を動かすのが好きで、畳職人や宮大工さんなど伝統工芸に漠然としたあこがれを持っていましたが、「江戸切子職人」を将来の職業にと意識したのは、中学生になってからでした。ホームルームの時間に、職業について考える時間が設けられていて、そのときの想いがずっと大学卒業後まで続いていました。

――大学卒業後、二代目に師事されます。



堀口徹氏:
職人の先輩たちの場合、親父さんが経営者であり職人の師匠という親子関係ですが、自分の場合は技術者の継承とはまたちょっと違うという独特な感じでした。二代目は初代の祖父より12歳年下ですが、祖父と孫のような関係で「玄翁で殴られる、よけると足が飛んでくる」というような関係ではありませんでした。

また職人としての修行だけではなく、商品管理や配達、サンプル作成や外注加工さんとの折衝など、学ぶことはたくさんありました。商品以外のいわゆる作品づくりは、そうしたことが一通りできるようになったのは、あとからのことでした。


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